第18回目チャリティーコンサートのご案内

ボンタールディ!エスペランサです! やっとコロナも落ち着きを見せてきたかなという今日この頃。今年もやってまいりました、チャリティーコンサートのご案内です。今年で第18回目になるチャリティーコンサートですが、今回のゲストは音楽表現家でありソプラノ歌手の秋山千鶴さんがお越しくださいます!秋山さんの真心のこもった歌声は、きっと皆さんの心に安らぎと感動を届けてくれるでしょう。ぜひ、みなさまお誘いあわせのうえご来場ください!

ギニアビサウからの手紙 第6回

約1年間続いた内戦中、私たちはギニアビサウに入国することはできませんでした。その間、私たちの研修センターを守ってくれた青年がネネ(写真右端)です。98年6月、クーデター勃発。国外退去せざるをえなくなった私たちは、ネネに少し  ばかりのお金と食料を渡し、「後のことをよろしく頼むね」と託していきました。そんな私たちの切実な願いに、ネネは見事に応えてくれたのです。

ギニアビサウからの手紙 第5回

「まず安全 ぜいたく言えば 水 電気」これはアフリカ駐在のある商社マンが作った川柳です。99年初め、ギニアビサウは内戦の真只中にあり、その「安全」が保障されない状況でした。危険度5(最悪のレベル)だったのです。その時、私は隣国セネガルにいました。セネガルにも多くの人が戦火を逃れて来ていたのです。そこの難民キャンプで、思いがけず開くことになった「洋裁教室」のお話です。

2021年チャリティーコンサート延期のお知らせ

-アフリカの希望チャリティーコンサート延期等について-  8月29日(日)に予定しておりましたコンサートですが、福岡コロナ特別警報の発令に基づく、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会場である平塚川添遺跡体験学習館が8月7日(土)から8月31日(火)まで休館となる旨、8月6日に連絡が入りました。 お知らせを受け、8月7日実行委員会で協議を行い、下記のとおり延期することにいたしましたので、お知らせいたします。 また、私たちは、皆様の力をお借りしながら、ギニアビサウのソナック小・中学校支援のために、毎年チャリティーコンサートを開催してまいりました。 昨年はコロナ禍のため開催を断念いたしましたが、実行委員一同「今年こそはやろう!」と心を一つに始動いたしましたが、今回の急な延期のように、コロナ禍ではなかなか先が見通せない状況であり、万が一中止せざるを得ない状況になった場合でも、支援できる方法がないか話し合いを重ねました。 開催できるよう全力で取り組んでまいりますが、もし中止となった場合、皆様からお預かりした賛助金、賛助広告代、チケット代はチャリティーコンサートの趣旨に沿って、NPO法人エスペランサに寄付させていただきたいと思います。どうぞ皆様方のご理解とご協力を賜りますよう、心からお願い申し上げます。            令和3年8月   アフリカの希望チャリティーコンサート実行委員長...

ギニアビサウからの手紙 第4回

アフリカに長く滞在していると必ずといっていいほど「マラリア」の洗礼を受けます。 熱帯から亜熱帯に広くみられる、蚊の一種、ハマダラカが媒介する原虫によって引き起こされる感染症です。日本ではまず感染することはないので名前だけは聞いたことがある、という方がほとんどでしょう。ギニアビサウの死亡原因の1位は、いまだに マラリアです。今回は1996年10月、ギニアビサウ第2の都市と言われているバファタに行った時のことを書きたいと思います。

ギニアビサウからの手紙 第3回 【下】

ギニアビサウは魅力的ではあるけれども、良い所だけではないのです。日本とは違う―そのことはよく分かっているつもりですが、実際に現地で生活するということは、 きれい事だけではすみません。 日本では想像もできない現実の中で、自問自答を 繰り返し、鍛えられながら活動しています。 今回もトモミさん(写真右)の手紙から・・。題して「ラドロン」。

ギニアビサウからの手紙 第1回 【下】

1982年にさかのぼります。初めての子どもがお腹の中にいる時のことです。 マリアン・アンダーソン(注:指揮者トスカニーニが「100年に1度の声」と絶賛したアフリカ系アメリカ人。1897-1993)という歌手の黒人霊歌のレコードを、たまたま 聞く機会があったんです。ジャケットには、奴隷となった黒人たちが綿花を摘んでいる絵が描かれていました。 彼女の歌声を聞きながら、こんな思いが突然、私を襲いました。 <かつて、黒人たちは強制的に新大陸に連れてこられたけれど、私たちはその罪滅ぼしをしなければならない。 強いられて、ではなく、自ら進んで、アフリカに行って何かをしなきゃ・・> まったく唐突な衝動だったんですけれど、彼女の声が、それだけ魂に染みたのでしょう。この思いは、ずっと心から離れませんでした。

ギニアビサウからの手紙 第1回 【上】

ギニアビサウの夜明けは遅いのです。でも人々の1日は、まだ暗いうちから始まります。 朝の6時ごろ、センターの前の道を行く、ヒタヒタ、ヒタヒタ・・という足音が聞こえてきます。6時半になると、女たちがおしゃべりをしながら歩いていきます。薄い光の中を、その日売るものを頭に乗せて。 7時には、もうすっかりにぎやかです。子どもたち、豚、犬、ニワトリ、バイク、時には車も行き交います。

現地交流

当法人理事長、役員が毎年2回ギニアビサウ共和国へ赴き、学校の運営状況視察や里親事業活動を展開していますほか、国際関係機関(日本大使館やユニセフ等)との交流に努めています。また、現地スタッフを日本に招き、日本の社会や文化について見識を深めてもらっています。このほか、毎年スタディーツアーを開催し、ギニアビサウの文化に触れていただく機会を提供するなど、国際交流にも努めています。