ギニアビサウからの手紙 第2回 【上】

子どもたちから歓声が上がりました。

今回のスタディーツアー(パッケージツアーとは違って実際に人々と触れ合い、交流する中で色々と考えてみませんか―という体験ツアー)では、朝倉農業高校と朝羽 高校の生徒会から贈られた靴を届けるのが目的の1つでした。

ソナック小学校の3-6年生に約130足。

われ先にと手に取る子どもたちを見ていると、率直に「よかったなー」と思います。  長い時間を掛けて日本から来たかいがあったというものです。

モロッコ・カサブランカをすぎ、サハラ砂漠上空を飛んでいます。

午前0:10。飛行機の外を見たら、真横に星が見えました。

星って見上げる物だと思っていたけれど、目線と同じ高さで見ることが出来るのですね。新鮮な驚きでした。

そういえば、イタリア・ミラノの近くでは窓の外に雪山が見えました。やはり窓の横(下ではなく)に山脈があるのです。雲のようにも思えるので、目をこすって見、同行した カヨちゃんにも見てもらい・・。

やっぱり、山です。あとでそれはアルプス山脈だということがわかりました。それだけ高い山だということなのでしょうけど、地上の山も空の星も、機内からは自分のすぐ 横にあるように見え、私の頭は混乱しそうでした。

関西国際空港を出発、イタリアで乗り継ぎ、セネガルの首都ダカールに到着するのは真夜中の午前1:15の予定でした。ですから、事前にホテルの予約をしておきました。ギニアビサウ行きの便が発つまで、12時間は待つからです。

ところが、予約した空港内のホテルに行くと、リストに私たちの名前がありません。フロントの青年が手書きのノートを何回も見て、次に、何気なく翌日のページを開いたら そこにあるのです。

「2月9日になってるよ」

「そうよ!今は2月9日の午前3時でしょ」

「いや、今日は8日だよ。部屋も空いてないし」

「ううーっ」「そこのソファーに座ってていいよ。後2時間くらいで1部屋空くと思うから」

疲れきった私たち2人は仕方なく、汚れたソファーに座りました。もちろん眠ることなんてできません。それで私は床に新聞紙を敷いて横になりました。そのうちにそばで  イスラム教のお祈りが始まってしまいました。

最悪です。でも午前5時ごろ本当に部屋が空いて、カギのかかる、一応は水が出る ツインルームに入ることが出来ました。

デウス、オブリガード(神様ありがとうございます)!

福岡を発って40時間、やっとギニアビサウに入国しました。

朝起きるとすぐに高麗人参濃縮液をなめ、総合ビタミン剤を口に入れて、水で流し 込みました。とにかく、倒れずに仕事をするためです。マラリア予防薬を飲み、さあ、活動開始です!

今年度、ソナック小学校には242名の生徒が通って来ています。良い雰囲気です。

いつものように校長や事務長とミーティングをしたり、授業の様子を見学したりします。

1年生も今では慣れて泣かなくなったそうです。

けれども、昨年から今年にかけてその1年生の父母3名が病死したそうです。まだ 30代なのに・・・。

あるときトイレの中を見たら、男子トイレでも女子トイレでもうんこが流れされておらず、凄い臭いを放っていました。

「アルミンダ、ププ(うんこ)が流れてないよ」

用務員のアルミンダは、午後の暑い時間は暇なので、マンゴーの木の下の、バンコ(長椅子)に寝そべっていたのです。

「だって今、水が出てないもの」

「じゃあ、桶に水をためておかなきゃ(各トイレ内に100リットルの桶と柄杓を用意してあります)。 早く何とかして。病気の元だよ」

「うん、わかった」。彼女はゆっくりと水を汲みに立って行きました。

アルミンダは気立てのいい女性です。決して悪い人ではありません。

でも<給料をもらっているのだから、ちゃんと働いてよ。生徒たちだって暑い中勉強 してるんだし・・・>と言いたくなりました。

もともと短気な私は、ギニアビサウに行くとしょっちゅう熱くなってしまいます。エスペランサの仲間からも「馬場さん、ギニアビサウでは鬼のような顔をしているよ」と言われました。

こんな私でも、いつかは「優しいお母さん」になれるのでしょうか。

【下】へ続く

NPO法人 エスペランサ

ギニアビサウ共和国支援の会